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闘魂 サバイバル生活者のブログ

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東京政府の正体!

東京政府の正体!


晴耕雨読が面白い。以下引用。

(ロスチャイルド-マセソン-グラバー枢軸)
マセソン-ロスチャイルド関係は多数の文献があります。「赤い楯」にも論述があったと記憶しています。

グラバーは英国アバディーンの船乗りの家系です。荒っぽい人間です。

成り上がるために、スコティッシュ・ライトに入会し、「極東支配人」マセソン商会の援助を得て、「日本処分者」として長崎に送り込まれた人間です。

グラバー自身はまだ若く、彼自身の資産も信用もありません。ただの代理人です。グラバーの買いつけた武器の信用状を裏書きしたのがマセソン商会であるはずです。

グラバーの位置づけは、本質的に、16世紀初頭のコルテスやピサロと変わらないと見るべきです。

幕末期に入った国際金融資本の魔手  投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 7 月 19 日

「ロスチャイルド-マセソン-グラバー枢軸」は、地理的には、「ロンドン-上海-長崎枢軸」です。

上海は、第二次大戦の勃発まで、日本処分の指令基地であったと理解しています。戦前の上海の繁栄と、そこにおける策謀についても文献が多数あるようです
(あまり読んでない)。

(倒幕枢軸:グラバー-薩長連合)
薩摩-長州連合は、倒幕を目的とする機関です。これを成立させたのが海援隊であり、坂本龍馬といわれています。

しかし、この理解は国内勢力の結合にとどまっています。
薩摩-長州連合だけでは倒幕は無理です。

より本質的には、「グラバーの商社を仲介した薩摩への武器供給取引が本格的に成立した」という点が重要です。

英国等で生産された銃器弾薬は、マセソン商会の信用を通じて極東に輸出され、これをグラバー商会が買いつけ、薩摩藩に売却します。

この取引の仲介に加わった仲介者が海援隊だったと思います。薩摩藩はたまたま財政状態がよく、特に砂糖の密貿易で設けていたはずです。
当時は砂糖で成り金になれる時代でした。この金を銃器に代えたわけです。

つまり、倒幕枢軸は、薩摩-長州ではなく、薩摩(+長州)-グラバー-マセソン-西洋金融資本と見るのが妥当な見方です。

(倒幕プロセスと内戦の回避)
薩摩-長州連合と幕府との本格的な内戦は回避されました。
この直後、グラバー商会は破産しました。

なぜグラバー商会が倒産したのか。

グラバーは、薩摩長州連合と幕府との内戦を予期し、多量の武器弾薬を上海経由で仕入れていました。武器弾薬の多くは上海の倉庫に貯蔵され、輸出を待っていたはずです。

薩摩藩から武器代金を回収し、これによって仕入れ手形代金を決済する予定でした。

ところが、幕府は早々と降参してしまいました。グラバーは武器の仕入れ代金を決済することができず、倒産してしまいました。

同じころ、幕府側にはパークス公使をはじめとする大陸勢力が接近し、武器供給を申し出ていました。

幕府がこの申し出を本格的に飲んでいれば、大規模内戦になったはずです。
この結果、グラバー商会は大儲けしていたはずです。

もちろん、明治政府は、グラバー商会への支払いと、幕府が降り出した手形の決済とを抱え込むことになったと思われます(国際慣行上は倒幕後の幕府の負債を明治政府が支払う義務は必ずしもないでしょうから、仮定の問題ですが)。

従って、明治政府は、出発時から超多額の外債を背負い込むはめになったはずです。

徳川慶喜は、おそらくこの事情を理解し、内戦を回避したのではないかといわれていますね。彼は我々の恩人です。

(坂本龍馬について)
坂本龍馬は、薩摩藩とグラバーとの商取引の開始を仲介したはずです。

したがって、生きていれば、明治政府の黒幕となったことでしょう。しかし暗殺されてしまいました。

竜馬は、倒幕派だったはずなのに、突然、公武合体派に変わり、その後暗殺されてしまいました。

この理由については、小林久三氏の「竜馬暗殺」が説得的です。

要するに、竜馬は、最初は倒幕派だったのですが、途中で上記した「内戦」の策謀に気づいてしまったというものです。

この理由は、推測ですが、グラバー商会が欧州から超多量の武器弾薬を仕入れているという情報を得たからかもしれません。

また幕府側の策謀情報も得ていたでしょう。超多量の銃器がなんのために必要なのか?明敏な竜馬には、大規模内戦を起こすためだと直ちにわかったはずです。

このため、グラバー-薩摩藩の倒幕路線と対立し、消されたというものです。

誰が手を下したのかはあまり興味がないんですが、すでに倒幕を決定して多量の武器を購入し終わっていた薩摩藩と見るのが論理的帰結です。薩摩藩はもはや後戻りはできないという決定をしていたのです。

(国際金融資本と明治国家)
グラバー-薩摩藩の仲介者としての竜馬のポジションを乗っ取ったのが岩崎でしょう。明治政府は、薩摩-長州藩閥が正当性を装ったものにすぎません。

各藩とも、明治政府に正当性が乏しいのは内心良くわかっていますが、西洋列強の影を見て、明治政府と争っても先の展望がないと考え、華族身分の保証と引き換えに藩を売ったわけです。

このとき(玉)の威光が効いたのかどうかは実証的には知りませんが、小室氏はそう主張しています。そうかもしれません。

明治政府は最初から軍閥と二人三脚で発足したようですね。

(戊辰戦争と軍閥)
戊辰戦争時、奥羽諸藩は、情報や時代認識の不足から明治政府に反対反抗したことになっています。

そんな馬鹿なことはありません。会津藩は、あらゆる陰謀が渦巻く京都に拠点があって取り締まりを行っていたのですから、上記の事情など手に取るようにわかっていました。

しかし、それでも反抗したのは、グラバー-薩摩長州枢軸が許せないし、根本的に間違っているという確信があったからに違いありません(実証は無理だね。だけどそう確信しています)。

その会津藩を武力で踏みつぶした明治政府に強い疑念を感じています。

江戸で十分に乱費できなかった武器弾薬を処分しようとしたのでしょうか?

ここにはグラバーの意向が働いていたと考えています。大規模内戦が破産回避の絶対条件でしたから。

百虎隊。美少年が多いですよ。実に(精神的な意味で)美しい顔をしています。 もったいない。なんと言うことか。

戊辰戦争の兵站は儲かる商売でした。ここから現在につながる財閥群の「資本の初期蓄積」がなされたことは有名です。

これらの費用も明治政府の負債となり、明治政府を西洋金融資本の軛につなぐことになります。


(朝鮮政府への示威的開国強要)
明治政府は、朝鮮政府に対して、突然ペリーも顔負けの強引な開国強要を行います。突然沖合に軍艦を派遣して開国を強要したわけです。何考えとんねん(関西人なんです)。

西郷が征韓論を唱えたということになっていますが、怪しいものです。

明治政府が米国のサル真似をしたことは、既に西洋金融資本に操られていたことを疑問の余地なく示す証拠だと思っています。西郷レベルの発案ではありません。

ここが戦前歴史の最大の分岐点だったと思います。

その分岐点に西郷隆盛が立っていることは不思議です。

彼は上野公園に立っているだけじゃないですよ。


そうですね。 けっきょく明治政府を本当に乗っ取ったのは長州ですね。

だけど資金と武力とを提供した「エンジン」は薩摩ということかな。 今回はグラバーとの「貿易関係」に注目してみました。 長州藩は貧乏でしたから。

しかし薩摩と西洋金融資本との結合は弱かった(遠かった)ということでしょうか。

「属国・日本論」は斜め読みしましたが、「明治六年政変」「横井小楠」は読んでいません。
しかし西郷のせいにしてしまうとは、とんでもない話ですね。


なにもいうことはありません。国際金融資本を軸に考えると混沌としたものがはっきりと輪郭を表すのには驚きました。

出典は晴耕雨読です。


幕末期に入った国際金融資本の魔手の続きです。

明治政府(維新)の経済的意味について、あっしらさんにご教示頂いております。(「近代」日本と今後の世界:国際金融家(寄生者)には読んで欲しくないが、知ってることだからいいだろう)

この内容に異論ありません。これに基づいて述べることにしました。あっしらさん、勝手に失礼しますよ。もし何かあったら言ってね。

「近代化をめざした日本は、先進近代主義大国にとって、国際金融の収益源や輸出市場として位置付けられることになりました。」

「この時点で、政治的支配者と寄生者の“同盟”が生じたはずです。明治維新期に金と銀の交換率の“設定ミス”で国内から金がほとんど流出したのも、そのせいだと考えています。」


大日本帝国の植民地拡張サイクル 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 7 月 21 日

長州藩閥と国際金融資本とは同盟していました。金銀交換率を「設定ミス」することはありえません。これは一種の報奨と見るべきです(幕府を倒して権力を握ったことのお返し)。

「国際金融家から国際通貨を借りて、それで機械・原材料・システムを輸入し、それらで生産した財や伝統的財を売って得た国際通貨で借りたお金を利息付きで返済するという構造ができました。」

これは外貨建てでした。返済はきついです。

「明治政府が発足まもなく朝鮮に触手を伸ばしたのは当然です(江華島事件)。

生産性が高い生産システムを導入したのですから、それで生産した財を国内で売り切ろうとしたら、価格が安くなるだけで利益ができません。

利益が出なければ、国際金融家から借りたお金を返済できなくなります。

中国は既に英国を中心とする先進近代主義大国が権益を確保していたので、朝鮮に目を向けたわけです。」

これは「上海からの入れ知恵」だったと考えています。

こうした「植民地拡張政策」を、江戸時代に成長した人間が自前で思いつくとは考えられません。

阿片戦争に怒り狂った水戸学派の著作は読んでいたはずですからね(岩波文庫はないか)。藤田東湖先生、吉田松陰先生がこんなことを許しただろうか?同じことを自分らがやってどうする。

薩摩藩の方々は人が良く、戦争には強いが、国際金融資本の裏面と「同盟」方針を理解していなかったみたいです。

この結果、薩摩藩閥の主流はパージされました。

幕府は朝鮮政府と長年にわたって紳士的(淑女的?)につきあってきたのに、突然これはないでしょう。明治政府を誰がコントロールしていたか明らかです。

(アジア唯一の近代主義大国日本は、国際金融家の高利貸しのくびきにかけられ、その返済と経済支配層の利益のために、朝鮮半島・中国・満州での権益拡大にいそしみ、国内の共同体性破壊に走ったということができます。)

(近代化の宿命である“過剰生産力”が対外権益拡大をさらに要求し、「大東亜戦争」まで突き進むことになりました。
生産性の上昇という「近代」の原理は、国家(共同体)の外での販売市場の拡大を不可欠とします。)

このプロセスは「自転車操業」でした。

国内での過剰人口、過剰生産力をさばくことができず、海外市場を求めて権益拡大に走ります。

そのための戦争は高くつきます。借り入れが増大します。税金が上がります。国内購買力が縮小します。

一方、「経済支配層」はたまたま儲かると、また生産力を増強します。植民地に過大投資を行います。国内では人口激増のために労働者数が多く、賃金の上がる余地がありません。

失業者が増え、植民地へと移動していきます。

植民地拡大サイクルとなります。

このサイクル自体は、支配層ではなく、個々の日本国民の恐るべき勤勉努力によってうまく回りそうになりました。凄いですね。日本人は。

その結果、満州-中国権益で英米と衝突するに到るわけですね。


植民地サイクルが(資金的に)うまくいきそうになり、国際金融家の首かせがはずれそうになったことが、英米との衝突の根本原因です。

満州鉄道権益への米国資本の参入阻止は一つの象徴です。

植民地、特に満州への投資は目を見張るほどすさまじいものです。

当時の世界最高のインフラを整備していたと言われています。

その一方で、帝都東京の悲惨と貧困とはすさまじいものでした。

この二つの現象は同一物です。

国内から資金を「抜いた」からこそ、満州に巨大投資を継続できたのです。その資金は貧困によって贖われたのです。

同時期に、世界でもう一つ巨大貧困都市がありました。

英国ロンドンのイーストエンドです。

これについては、例えばチャールズ・ディッケンズ、ジャック・ロンドンの作品が有名です。

「わが秘密の生涯」にはイーストエンドの売春婦(労働者階級の子女)の「一晩の値段」が載っていますが、帝都東京で永井荷風が買った値段よりも安いみたいです。

英国の資金は植民地に投資され、金持ちの懐を潤しましたが、その原資は貧民の搾取から出ていました。

日本経済支配層はその形だけ真似を使用として、虎の尾を踏んでしまいました。

植民地経営には、「寄生者の知恵」が必要だろうと思います。

寄生者の知恵とは、詐欺師の知恵でもあります。

寄生されている者達に感謝されるような者でなければ、植民地経営はできないですね。

形だけ真似をしても、中身はまったく別物になってしまいます。

日本人経済支配層はせいぜい「守銭奴」クラスですから、無理をしない方が良いみたいです。

以上、戦前史の要点をまとめました。

次に、これを踏まえて、「現在」を鳥瞰してみたいと思っています。


いままでこんなことさえ意識せずに歴史を見ていた自分が恥ずかしいくらいです。知らずに学校教育を優秀な成績で終えた優等生がいばってますけど、彼らの歴史認識っていったいなんなんでしょうかね。否、当然知っていて、こういう歴史認識を巧妙に隠してきたんでしょうか。


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